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Introduction Material on LEE Seong-Bok

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恥辱の中で孵化する新生のパノラマ

 

文学評論家 チョン・グァリ

 

 私たちは一般的に、生に対する理解や感じたこと、思いを凝縮させて純粋な言語の結晶として作り出したものを詩というのだと学んできた。人々が、詩というものに統一したイメージを期待する所以はこのためであろう。

 イ・ソンボクの詩が1980年代序盤に初めて発表されたとき、読者たちは、そうした期待が跡形も無く崩れ去るのを見て驚愕する。そこには「精巧にできた壷」(Cleanth Brooks)は無く、引き裂かれ、破片となったイメージたちがパノラマのように広がっていたのだ。そのイメージたちには、ばらばらではあったものの鮮やかで、あやふやではあったものの強烈な思いが込められていた。

 イ・ソンボクによる、思い切った詩文法の崩壊の背景には、1980年を前後して、韓国社会の内部で沸き起こるさまざまな矛盾の衝突があった。一方では、韓国社会は第三共和国の経済近代化政策が功を奏して急速な経済成長を成し遂げ、消費資本主義社会に近づいていた。もう一方では、朝鮮半島は長い間外勢の侵入に苦しみ、独立してからは独裁政権によって統治されるという、韓国人にとってはまるで天罰でも受けるかのような、抑圧される日々を耐え続けてきた。しかし、独裁勢力が主導した経済成長は韓国の人々に民主化への熱望を促し、独裁に抵抗する力をもたらした。そんな中、1979年の大統領の死をきっかけに民主化の花火が一瞬打ち上げられたかに思われたが、再発した軍事クーデタと戒厳軍による市民虐殺という政治的な災いにより無惨にも鎮火した。

イ・ソンボクの詩は、市民意識の成長と政治的圧制による民主主義の挫折と変質を目の当たりにして生きてきた韓国人の生を、「恥辱」の構図のもとに凝縮した。その恥辱は、韓国人の奴隷的状況をありのまま指摘すると同時に、そうした事態を放置するほかなかった韓国人である自分自身の責任をも指していた。「ここで口に出来ないことがあった!加担しなくても恥ずかしいことがあった!」[1]という悲鳴が表している状況がそれである。そして、「激しい苦痛もなく」[2]日常は何事もなかったかのように流れていた。ただし、人々は「声もなく苦しんだ」。

 イ・ソンボクの詩は、恥辱の糞尿の山で憤怒の卵が孵化することを鋭く把捉していた。「夕方になると狂ったように震えるポプラの葉」がそこでは確かに動いていたのである。その震えがある限り、「かすかな灯りが消えてはいなかった/ ああ、消えたらいいのにと呟いた/ 消えなかった」[3]。イ・ソンボクの詩が統一したイメージを見せずに、ばらばらになったイメージをパノラマのように展開してみせる理由がここにある。災いの渦中で希望が生まれるべきなのだとしたら、その希望は、ゴミ溜めに飛んできた清らかな一羽の鳥がもたらしてくれるのではない。なぜなら、空は抑圧者たちの飛行船ですでに占領されているのだ。むしろ希望は、災いそのものの中から出てこなければならない。言い換えるなら、災いが自らの動きでもって本来の事態を否定し、希望そのものが動き出して再誕生するしかないのである。つまり重要なことは、災いのイメージでも、希望のそれでもなく、災いが自ら希望に変化する過程だったのである。よって、統一された現象ではなく、時々刻々と分裂しては変形し、交渉しては融解してゆく風景が展開し広がっていかなくてはならなかったのだ。

それならば、この風景の千変万化はどのようなきっかけで始まるのだろうか?「序詩」[4]はそれに対する明確な答えを出している。二連からなるこの詩は、第一連で生の要素が虚しく滑り落ちてしまい、「私」はどこへ行けばわからずにさ迷う現象が描かれている。ところが第二連では、この虚しい風景は突然、生き生きと踊るような光景に変化する。なぜこのような変化が可能だったのだろうか? 「あなたが私を見つける」瞬間、それは起こるのだと詩は指摘している。その瞬間「あなたを呼ぶ私の声/ 背の高いポプラの間で葉たちが踊ります」。そしてこのとき、私とあなたは二人きりではない。すべての存在たちが、一斉に四方で互いを呼び合ってきらめいている。「四方から鳥の声きらめいて流れ落ち/ 暗くなって身をねじる草原」なのである。

この詩は、災いが希望という動きに変化していく基本的な形式を提示している。存在が存在を呼び、イメージが互いの現象を変え、感覚がごちゃごちゃに入り乱れること、それが基本形式である。また、こうした光景の変化のきっかけも教えてくれる。それは相手に気がついて呼びかける瞬間だ。皆が互いに気がつくとき、言い換えれば、絶望の沼にはまってしまった存在たちが互いの中に生の価値や生きるべき理由、生きようとする意志を見出すとき、ついに新たな生が開花するのである。

しかし、そうだからといって、この生き生きとした生の舞踏が文字通りきらびやかな祭りとして繰り広げられるのではない。なぜならば、この新生は、抑圧された状況との過酷な闘いがあって初めて生まれるものなのだから。今回紹介した詩が収められた詩集『そしてまた霧がかかった』(邦訳は書肆侃侃房刊、2014、韓国語原題は『南海綿山』)は、まさにこの生きようというもがきが、長きにわたって堪え忍んできた日々の足跡と重なる。そうやって、新生と忍耐が、生動と粘りが、舞踏と匍匐が一つになってもつれあった先に、詩「南海錦山」がある。そこでは、空と海は一つにつながりながらも、昇天した者と海に沈んだ者にそれぞれ分かれる。読者の方々には、是非、この奇妙ないきさつを何度でも味わってみてほしいと思う。

(日本語訳 呉永雅)

 

[1] イ・ソンボク 「そしてまた霧がかかった」『そしてまた霧がかかった』、書肆侃侃房、2014年、64~65項

[2] 「激しい苦痛もなく」、同書、80~81項

[3] 「かすかな灯は消えてはいなかった」、同書、84~85項

[4] 「序詩」、同書、2~3項

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